幸運を追い求めると、満足から遠ざかる

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人間は命がある限り、悩み続けることで、カルマの解消を継続しています。

100歳を超えても現役の医師であり続けた日野原重明先生(聖路加国際病院)の名誉院長先生は、ご自宅にて、2017年7月18日午前6時33分、呼吸不全のため105歳でお亡くなりになりました。

多くの功績をお残しになられた日野原重明先生でさえも、「100歳までは悩みが多かった」と、仰っていられました。

私たちは、この世に生を受けて以来、物心が付く頃から、悩み始めます。

一度も悩んだことがないという人はいないでしょう。

一度だけ、「悩みがないのが、悩みなのです。」と、仰る方を鑑定させて頂いたことがありますが、生きている間は、悩みと向き合う必要があります。

昨日よりも、今日、そして、明日に向けて、より幸せになりたいと思う気持ちがあることでしょう。

多くの方が、日々の生活の中で、人と比べて悩んだり、落ち込んだり、また、あるときは、ひと時の快楽に浸かってみたり、一瞬の優越感で気を良くしたりというような繰り返しなのではないでしょうか。

幸せとは何なのか?

幸せとはどのような状態であるのか?

幸せを計ることが出来るのか?

と、誰かに尋ねられても、人それぞれの幸福のバロメーターが異なることでしょうから、答えは異なります。

例えば、ある調査で世界各国の男性達に、どのような女性の体型を好むか?という質問からデーターを取ったのちに、国によって求める女性の体型が異なっていました。

ある国では、とても、お尻が大きい女性を求め、ある国では、日本の既成の服では販売していないほどの大きさのスタイルを求めていました。

アジアでは、手足が細く、華奢な体型の女性が理想のスタイル画像として、表現されていました。

人間の思考はある程度、体験や身近な人からの意識や教え等を本(もと)に基礎として作られています。

ですから、ネガティブな思考の親の遺伝子が強いと、その傾向が強くなることもあります。

他者を羨ましがることで、ネガティブに陥ることがあります。

「あの人ばかり」「失敗すればいいのに」「憎たらしい」といった感情を取り持つと、その思考は人相にまでにも影響します。

脳にその思考は送られ、データーとして記憶されます。

特に、羨む気持ちはとても強いパワーがあります。

相手を陥れようとして行動を起こしたり、親切な振りをして意地悪をしたり、些細なことで、批判するような、いやらしい行為を取り、相手を困らせて、勝った気持ちになったり、ほくそ笑むようなことをすれば、その思考はどれだけのマイナスをわが身に負うことになるか、また、自分の愛する子供やパートナーに不幸を招くこともあります。

特に、負けず嫌いの女性はこのような感情が芽生えやすくなることもあることでしょうから、注意して下さい。

もしも、今、あなたがこのような負の気持ちを持っているのであれば、早い段階で浄化した方が良いでしょう。

とはいえ、羨ましがるなと言っても、人間ですから、どうしても、「あの人ばかり」という気持ちになるかも知れません。

では、そんなときはどうすれば良いでしょうか?

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相手と自分を競わないことです。

羨む気持ちは相手が優れていたり、恵まれているからであり、比べたところで自分の劣等感が増えるだけです。

そして、その気持ちが蓄積されて、妬みや嫉みが生まれて来ることになります。

今までは自分の方が相手より良い立場だったが、その相手の方が有利な立場になってしまったとき、「昔は冴えない人だったのに・・・」と、相手がどれほど努力したことよりも、育った環境で有利になっていたからと言って、相手を自分よりも劣っているということを優越感でいることが正しいと思っていたことが覆されたことで、ネガティブな波動を放してしまうことがあります。

しかし、そのネガティブなエネルギーは邪心となり、エネルギーが落ち込んでいるときに、次から次へと、マイナスの出来事を呼び寄せることになります。

幸福は得ることよりも、失うことで、計ることが出来ます。

健康と病気の関係に似ています。

私たちは健康なときには、健康であることを差ほど喜ばないでしょうし、健康であることが当たり前と思っています。

健康を失ったときに、健康を取り戻そうと願うのです。

病気は、痛み、苦しさといったように、体に感じることが出来ますが、健康は身体に感じないのです。

幸せも、幸せなときには、感じていないかも知れません。

失ったときに、初めて、辛さや、痛み、苦しみを味わうことによって、自らの日々の意識で「幸せ」を手放していたことに気づくときには、もっと、早くから、幸せを大事にしておけば良かったと思うこともあるでしょう。

もしも、誰かにうらやむ気持ちが湧いてきたときは、相手を認めることです。

心の中では、メラメラと嫉妬心が強くなっていても、「凄いね」「感心するよ」と、意識的に評価する方向で気持ちを調整することで、自然と不平不満は消えていくことになります。

そして、その羨む相手を憧れの対象にすると良いでしょう。

そうすることで、うらやむ気持ちが持つ強いエネルギーは、自分を高めるために使うことが出来るでしょう。

つまり、ライバルがいることで、眠っていた才能を開花させることも出来るでしょう。

人は、あまりにも、かけ離れた人をライバル意識にすることはありません。

自分と似ているような雰囲気を持っている人に対して持つことがあります。

ですから、そのエネルギーを、自分を高めるために使うことが出来るようになれば、やがては、自分自身が、人から憧れる人物になれることになるでしょう。

そして、本当の幸せとは、あなたの心のあり方にあるのです。

心のあり方は、目に見えるものではありません。

あなたにとって、いい心のあり方とは、こういうものだというものだということは示すことができるものでもありません。

「今という時間を精一杯生きることが、幸せである」ということに気づくことが出来れば、あなたの人生は劇的に変わることでしょう。

物質的に恵まれた人と、精神的に満たされた人とどちらの方が幸せでしょうか?

それは、精神的に満たされた人です。

裕福な人の多くは、自分の中にある欲望や気まぐれな望みをすべて叶えるだけの財産があるかも知れません。

しかし、人間というモノは不思議で、お金で手に入るモノよりも、精神的な面で満たされることの方が「生きている」ことを実感出来ます。

宝くじで高額当選した人や、親の遺産が舞い込んで来た人は、大金が入ったときは、大喜びですが、向上心も、意欲もなくなってしまうことがあります。

自堕落な生活になり、性格さえも、傲慢になり、何をして行けば良いのか分からなくなる人もいます。

時間と財を費やしていくだけに過ぎない日課になってしまうこともあります。

お金持ちになったとしても、心のあり様としては、貧しい人よりも幸福感という点では貧しいということでもあるかも知れません。

私たち人間は、死ぬまで、いつも幸せを探し続けているものです。

だからこそ、常に、心が満たされる何かを求めて、努力して行こうという気持ちになれるのです。

そして、やがて気づくときが来ます。

目標や思いに向かって、精一杯に自分のエネルギーを使う時間こそ、実は幸せな時間だったということです。

そして、もっと、明るく幸せな人になるには、努力を惜しまないことです。

ただし、その向かう方向が自己欲だけの理由であれば、真の幸せではないかも知れません。

魂が求める幸せと、体が求める幸せが異なるように、真の幸せを求めているのであれば、必ず、努力は実を結ぶことになるでしょう。

幸福を手に入れるのは、自分の気づきを受け入れることです。

ありがとうございます。

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