月別アーカイブ: 2007年6月

もう、誰のせいでもない、感謝することで見えてくる本当の自分 ☆

15.5:350:224:0:0:ucyu3:center:1:1:光を送り続けている 宇宙  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
そして、主人にお気遣い頂きまして、誠にありがとうございます。
どうも、暑さやストライキやらで、お医者さんたちも準備が整わないようですから、しっかりした検査も受けておらずに、外来訪問者用の椅子に座り本を読んだりしている様子です。
毎日、お腹に大きな注射をされるのが辛い様子です。
相部屋で皆さん達とも仲良くなったりして、手術が必要かどうかはまだはっきりしません。
たまには休んだ方が良いでしょう。
本当にお気遣いをありがとうございます。
ありがとうございます。
さて、「感謝することで人生をかえることが出来ることを綴ったメルマガ」も別の場所から発信中ですが、感謝することで、人生をかえることができたら、それも良い方向へ変わるとしたら、お金もかかりませんし、時間もご自身の好きな時間に出来るでしょうし、不平、不満や愚痴が少なくなるでしょう。
良い言霊や良い想念は必ず、良い波長で素敵な出会い、そして、沢山の「気づき」がこの壮大な宇宙からメッセージとして、あなたへ届くでしょう。
感謝することで、人生をかえることができる・・・。
とっても、簡単です。
感謝はエネルギーであり、力の源です。
感謝することで、不幸や不満を感じることでさえも、その悪い気(邪気)を身体の外に出してしまいしょう。
感謝とは、その人や人生の最良の為だけでなく、愛する人、仕事、人生の喜びの良い部分を引き出してくれる、シンプルで効果的な方法です。
感謝し始めると、物事を受け止め方や、考え方が変わっていくでしょう。
見方が変われば、何かあったときでも、パニックにならずに、対応も変化していくことでしょう。
感謝は、愛、喜び、成功などの扉を開き、接するすべての人に優しい恩恵を与えることができるでしょう。
感謝することはプラスになることはあっても、マイナスになることはありません。
感謝することで、仕事、人間関係、夫婦、そして、大自然へ対しても、幸福を確かめることが出来るだろう。
世知辛いこの世で生きていると、色々な問題や不透明な気持ちになるだろう。
たとえ悲しくなるほどの難題であっても、感謝を通じて、ほとんどすべての体験を「有り難い」と思えるようになるだろう。
感謝のエネルギーをあなたのエーテル内に常に保持することで、あなたの世界や価値観が変化するだろう。
それは奇跡、魔法と思えるほど、激変であるから、あなたの周りも驚くかもしれない。
感謝することで、計り知れないメリットが手に入るだろう。
いつも感謝している人は、肯定的な気持ちで大らかで明るく、人生に満足しているだろう。
人間関係でも、悪い波長の人達を寄せ付けないバリアが出来る為、他者と協調しやすいだろう。
今までの人生が辛く、寂しかったのは、「感謝しないで生きて来たかも知れない」ことに気づくだろう。
自分の生い立ち、経済的な負担、弱い身体、家族の不仲、いじめ、才能がないと諦めていたり、生きている意味を感じない、夢や希望がない、無意味な人生などと諦めていたり、夫婦が不仲のは相手のせいだと思ったり、仕事が楽しくないと思うことなども、実は自分の「こころのものさし」で計って来ているのだ。
現在、生きていて楽しくない、辛い人、今までの人生をリセットしたい人、難題を抱えている人、感謝する行いは平等に開発することができる。
最初は「感謝して人生が変わる」など、無意味だと思う人もいるだろう。
でも、すでに感謝して来ている人は、感謝の力を活用しはじめると、感謝すべき物事、人々、状況に頻繁に接するようになる。
今日、「この一日は本当にすばらしい」と思うようになるだろう。さらに、明日がさらに多くの喜びで満たされることで、生きるのが楽しくなるだろう。
感謝は、心地よい感情が身体から湧いて来る、なんだか身体の中にオアシスがあるみたいに感じることが出来るだろうし、会う人に心地よさを感じさせることが出来る。そして、初めて会った人でも、またあなたに会いたいと願うことであろう。内から湧いて来る、優しく暖かい波動をあなた自身で感謝することで実感出来るようになるだろう。
感謝することで、より幸せで健康で満たされた人生を齎してくれるだろう。
さらに、健康で長生き出来る要素が身体の細胞に浸透して行くだろう。
自分の長所、短所を認め、寛大になれるだろう。
感謝することで、自分自身の価値を認めることは、あなた自身の自信にも繋がる。
そして、心に余裕が出てくることで、他者の為に何か役立つことをしてあげたいと願うだろう。
人生のあらゆる面で、あなたもあなたを通じて満たされる出来事が増えてくるだろう。
自分にも「ありがとうございます。」他者にも「ありがとうございます。」と思えるだろう。
あなたが感謝することで激変することで、周りも変化して行くことだろう。
もちろん、感謝することで、すべての問題を解決することは出来ないときもある。
しかし、健やかで幸せな人間関係を築くことや、多くのことをマイナスからプラスに変化させることが出来るようになるだろう。言動すべてに光を当てることが出来るだろう。
だから、昔も今も多くの人が「感謝すること」を薦めている。
感謝無しで生活していると、生活に価値を感じなくなるときがある。
それはこの世はすべて森羅万象で繋がっている。あなたが今まで生きれたのも、多くの人が感謝して来てくれたお陰であろう。だから、あなたが他者の為に感謝することで、その思いが世界平和へと繋がる。
自分と他者に感謝し、自由でいられることに感謝し、その感謝は世界に反映される。
みんなが感謝する生活をすることで、地球規模の癒しになる。
もう、多くの人はそれに気づいているだろう。
それこそが、本当のヒーラーの役目であろう。
感謝をこの地球にあふれさせ、世界の波動と自分の波動を高めていこう。
この感謝することで、人類に希望を与え、そして、真の光を宇宙から受け取ることが出来るだろう。
だから、感謝して欲しい、もう、だれのせいにもせず、感謝することで多くのことを「気づく」ことが出来き、あなたが優しくなることで、周りもその優しさをシェアー出来ることだろう。
だから、感謝して欲しい。
世界人類が平和でありますように!
ありがとうございます。

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霊能者だったアドルフ・ヒトラーと食の関係☆

29.5:350:233:0:0:1dollarD:center:1:1:鷹は何を意味するのか  :
28.8:350:233:0:0:1dollarC:center:1:1:エジプトのフォラオの象徴のピラミッドと目:
29.2:350:233:0:0:1dollarE2:center:1:1:ダビデの星形はイスラエルの国旗と同じ   ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
毎日、こちらは暑い日が続いております。インド辺りでも洪水の為に死者が出ている様子です。
さて、心霊現象の続きを書こうと思ったのですが、霊的能力を高めるにはベジタリアンである方が、霊能力を高められるのです。
西洋ベジタリアンの元祖と言えば、ギリシャ人の哲学者ピタゴラスでしょう。
しかし、ナチス・ドイツのヒトラーがベジタリアンであったことはあまり知られていません。
霊的高次元の存在者になる為には、動蛋白等の肉や乳製品や鶏卵等を一掃して、菜食主義に徹底しなければ、こうした霊的能力は身に付かないと言う事を、ヒトラーは知っていたのです。そして、彼らは神秘主義集団の組織をインドの伝統的なマハトマ(偉大な魂)にも似た、霊的な世界の存在に気づいた集団と関わっていたでしょう。
その組織の集団とは「薔薇十字団」でしょう。
彼らの告白によりますと、「幾度となく無価値な人々が現れて、騒ぎ立てるかも知れない。しかし神は、彼等の言う事に耳を貸し手はならないと命じ、下僕たる我々に害が及ばないように雲で包んで下さった。その為に、鷲から力を借りない限り、我々は、人間の目には見える事はない」とあります。
神秘主義者にとって「鷲」は、シャーマンのアニマル・スピリットとしてアメリカのレッドインディアンも密儀参入の象徴で分るでしょう。
その集団達は霊的に目覚めている人でないかぎり、その存在を探し当てることは出来ないとしたのです。
ですから、彼らにとってのシンボルは鷹がハーケンクロイツ十字であり、卍と同起源で右鉤の図になっています。
アメリカも国璽の表は、この「鷹」を象徴したデザインになっており、その裏には「不完全なピラミッド」と「ルシファーの目」の構図になっています。
世界の18世紀以降は肉食文化やチーズやバターなどのフランスの貴族が食べていた文化の真っ最中にて、美食家が増えて行きました。肉を食べることは一種の優越感を指していたのでしょう。
西洋史では、庶民の多くは動蛋白を多くとっていたようです。それに比べて上流階級や貴族は極めて動蛋白摂取が少なく、むしろ穀物の加工食であるパンやハーブなどを多く取り入れた魚介類を好んで食べていた様子です。
これは今の日本でも言えることではないでしょうか。
安いアメリカ産のお肉は庶民が食べ、皇族達は国産の穀物菜食でしょう。お野菜とお肉であれば、お肉の方が高い時代から、今ではお肉の方が安価で取引されています。
安い肉には意味があります。国産のさといも、じゃがいもなどの方が高いのはなぜでしょうか。ヒトラーでさえもベジタリアンであった理由は、彼らは、穀物菜食の齎す利益が、霊的にも直感的にも「正食」の道に則した食べ物だと理解していたのです。
しかし、私たち庶民は理解出来る研究やテキストなどありませんから、口にするときも「スーパーで売り出しで安い肉、肉は簡単に蛋白質だから、お野菜の筑前煮など野菜も最近は高いし、面倒だから、簡単に料理出来るお肉の方が手間も省けて良いわ。」と、言いながら、庶民は何も疑うことなく、ただ決められた日々の食習慣に従っている方が、楽であり、何も考えなくても済むからでしょう。
腐敗しつつある政治に対しても、若者は興味もなく、政治家達は民衆がそのような関心を抱かない方が政治もやり易く、いつまでも権力の座が独占出来るものなのです。
これはアフリカのサファリーに生活している肉食動物のライオンなど、お腹が減ると菜食の動物を狙って食べます。その後はその動物達が通り過ぎても、気にもなりません。
しかし、菜食動物達は草が生えている場所を探し続けなれば生きていけません。それに似た生活を現代人はしているのではないでしょうか。
現代の肉食、飽食三昧の食道楽に明け暮れている食文化は、民衆に何も考える事をさせない為にも、関心をしめさせないためにも、愚昧化をさせているのではないでしょうか。
飽食三昧すると、思考力が衰えます。
どこの娯楽番組も話題は複雑な政治よりも、スポーツや芸能情報に焦点を合わせて次元を落としたものを庶民に見てもらうことで、何の疑問も抱かず、右から左に洗脳されたテレビ番組を見てもらうことで、より一層、政治家達は庶民たちが愚昧化出来ると思っているでしょう。
そう考えると、時の権力者は庶民をどのように扱おうとしているか分るでしょう。
ヒトラーには、彼専用のコックがいました。それも、野菜料理専門の凄腕のコックだったそうです。彼は内外から政治家や軍人を総統官邸に招待して、豪華な晩餐会を毎晩のように開催しましたが、料理人の多くはフランス料理の専門家達だったそうです。
動蛋白たっぷりの、脂肪が重厚な豪華なフランス料理を振る舞っていました。
しかしヒトラーは、自分が招待した側でありながら、これらの料理を一口もしなかったのです。招待者らと、にこやかに語らい、豪華なフランス料理は一口も口にしなかったのです。そして晩餐会も終わり、その後、自分だけの為に穀物菜食の夕食を取っていたのです。それはかなり質素な食べ物だったそうです。
彼は歴史上に登場する権力者と違い、穀物菜食を摂っていたのです。
彼はどうしてベジタリアンの信仰者になった行ったのでしょうか。
つまり、自分を取り巻く政治家達には肉を食べさせ、人間が本来持っているはずのインスピレーションを鈍らせ、愚昧させ、直感を鈍らせることで、自分は霊的能力を持ったカリスマ性により、自分は神の化身だと思い、権力を独り占めにしようと思ったことでしょう。
ヒトラーは多くの古代ギリシャの哲学者の意見に耳を傾けたことでしょう。
プラトン、ピタゴラスが発言した言葉で「直感と閃きの能力を養成するためには、肉を人間の食事から排除する」という食思想でした。
 
今では、ギリシャ人も思いっきり肉食人種になってしまっています。
ピタゴラスは宇宙との繋がりもあった哲学者です。
彼は哲学者という言葉を作り、その意味は「真理の追究をする人」と定義しました。真理探究者は「中庸」を維持するべきで、極端に左右されてはいけない、つまり、どちらかに偏ってはいけないとしたのです。
「私たちは最大限に努力をして避けなければならない様々な事がある。それは肉体から病気を、魂から無知を、胃袋から美食を、国家から内乱を、家庭から不和を、そしてあらゆる過剰なものを、火や刀や、その他の手段を切り離さなければならない。」としたのです。
その為には、まず死を迎えるまで、菜食主義を実践しなければならないと説いたのです。
これがピタゴラスの「肉を人間から食餌から排除する」という思想でした。
しかしこの食思想は、時の権力者や富豪の美食家から迫害を受けて、中世においてフランス料理がヨーロッパを代表して、国家間のレセプション持て囃されてしまいました。その為、穀物菜食料理等は目もくれなくなります。
一度濃厚なソースで味付けしたフランス料理は、権力者や富豪の間で持て囃されてしまい味の虜になってしまいました。それによって、穀物菜食主義思想は、完全に撲滅されたかのように、しかし、ナチスの「薔薇十字団」は、霊的高次元との交流において、この食思想こそがもっとも重要だと考えたのでした。この「薔薇十字団」は今でも、どういう組織であるか解明されていませんが、その組織に歴史上の人物が関わって来たことは確かです。
薔薇十字団の日々の実践は、穀物菜食の食事法を徹底して、宇宙の神秘に通じる神通力を手に入れることがヒトラーの関心であったでしょう。
ですから、シンボルを掲げ、右手をあげさえ、「アイル ヒトラー」という暗号のような言葉を使わせ、洗脳させ、自ら神秘研究家として称して、さらにはオカルトの黒魔術の霊能者として、薔薇十字団の儀式に関わっていたことでしょう。
そして、霊的波長を高めて行く為には、なぜ穀物菜食の食餌をするか、ヒトラーは知っていたのです。
しかしながら、ヒトラーが求めたものは、ハーケン・クロイツという鉤十字(卍)の反対であった為に平和ではなく、暴力であり、白魔術ではなく、黒魔術の下の力の霊能力に繋がってしまったのでしょう。
それはピタゴラスが説いた、人々を幸せにするものではありませんでした。
しかし、21世紀に必要な霊能者達は中道を歩みながら、穀物菜食を食餌として摂取していることでしょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

次元上昇に乗り遅れない為のこころの準備

9.5:350:263:0:0:DSC00116:center:1:1:地球を守ろう  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
今年も地球はもっと暑くなっている様です。
多くの方はご存知の通り、新しい時代の到来の為の前兆が世界各国で起きております。
この新しい時代が近づくにつれて、この地球の波動がどんどん高まっています。
「アセンション」「次元上昇」「水がめ座の時代」「ゴールデンタイム」等と名前は違いますが様々な呼ばれ方をしています。
日本では現在起きている政治家や企業の不正が次々と表面化しています。長引くイラク戦争も来年のアメリカ大統領選挙辺りには終わりになるかも知れません。
陰で悪いことをしていた人達自身も隠し事が出来なくなって行きます。
この地球を牛耳っていたある民族のパワーは少しづつ衰えて行くでしょう。20世紀の終わり頃からあと数年の間に彼らも指示されなくなって行くでしょう。
その後は、色々な説では日本人が良い意味での世助けをすると言われています。
しかし、その世直しをするプロセスで、私たちが想像を超える天変地異や、その他の問題も回避することは出来ないかも知れません。
その辛い痛みを通過して、新しい地球、新しい時代のドアが開かれるでしょう。
この水がめ座の時代はすべての人種にとっては初めての経験です。人の心の中がクリスタルのように透き通って見えてしまう時代です。
特に「こころ」を大事にして来た、日本人、日本社会では、霊界と同じ現象が起きています。人が死後に帰る霊界では心に思うことがすぐに形になって現れます。これは霊界通信などによって証明されています。
この世にいながら、あの世の現象がさらにスピードアップして起きているでしょう。霊界ではこの世の三次元の物質社会と違い、心で思ったことがスピードアップしています。
たとえば、人間関係でも笑顔を作り、心の中では相手を嫌っていれば、その人と会いたいと願わないでしょうし、相手に上手く合わせようとすると、精神的な無理が出て来ます。
波長が違う相手に媚を売ったり、仲良くしようと願っても、無理が生じます。
すでに、この世にいながら、あなたの周りに集まる人たちが霊界と同じ波長同士のソウルメイトと呼ばれているグループでしょう。
そう考えると、周りにいる人たちがマイナス思考であったり、物質価値に拘る人たちであれば、そうでないと思っているあなたも実はそうだったりするかも知れません。
つまり、先取り現象として、あなたの心の中でもこの数年間で過去の思いがクレンジングされたりして行っているのです。つまり、個人的なカルマのクレンジングのスピードがアップしています。そして、あなたの住む地域や社会でもさえも、クレンジングされているのです。この「カルマ」という言葉も色々な精神世界の本やHPで頻繁に使われていますが、簡単に言うと「心の癖」と言っても良いでしょう。
前世で礼儀正しい性格、明るい性格、穏やかな性格であれば、現世で急に暗い性格、ネガティブな性格にはなれません。
バラの花の種の心を持って過去世で何度も繰り返し輪廻転生した人は、やはり、バラの花の種の心を持って生まれています。
貧困な家に生まれてようと、裕福な家に生まれてようと、性格は魂ですから、なかなか昨日、今日のこころの癖ではありません。
その「心の癖」を良い方向へ変える為にも、人は生まれ変わり、多くの気づきを得て学び、自分自身の魂の向上させて来ているのです。
自分が蒔いたカルマの種は自分以外の人が刈り取ることは出来ません。
この新しい世界では、すでに振り分けられています。
聖書では、この振り分けを「光の子」「ケモノ」と言っています。
その「光の子」になる為にも、自分の蒔いた種を刈り取らないといけません。そのカルマの解消をしなければなりません。
その「カルマ」ですが、「カルマ」とは、私たちが発したモノが時間や人を代えてブーメランのように「こころの癖」と共に自分が相手の為に発信した想念などが返ってきます。
カルマという言葉はヒンズー教では「神との合一を遂げようとする魂の努力」という意味が含まれているそうです。
前世で行った行為なども「原因と結果の法則」というのがあるでしょうが、その原因は今の人生で作られたモノもありますし、過去世にて輪廻転生を重ねる中で作り上げた「心の癖」の方が多いでしょう。過去世も含め、これまでの人生の自分自身の魂が作り上げた霊性、つまり波動は奥深く記憶されているのです。
私たちは自分自身のこころの癖に気づく必要があるでしょう。言動で相手を傷つける想念を持って接した言葉は必ず、忘れた頃に戻って来て、傷つけられるものです。
私たちは何かに不満があるとき、何かに悩みがあるとき、無意識にため息を何度もついたり、誰かを野次ったり、感情的になったりする細かいデーターでさえも、インプットされて、波動が変化してしまいます。
自分自身では気が付かない、「こころの癖」でしょう。
過去の人生の中で受け継いだ心の癖がカルマとなって、今の私たちの人生に影響を与えているのです。その原因に気づくことは大変素晴らしいことです。
毎日の生活の中で、人間関係でのトラブル、不運な出来事などが表面化して来る中で、私たちが嬉しくない不運は自分が招いていることでもあるのです。
過去世からのカルマの清算もあるでしょうし、現世で生まれてから、新たに生み出したカルマもあるでしょう。そのカルマに気づいたが、そのまま保留にしている人もいるでしょう。
カルマを清算するには、人生の中で気づき、悔い改めなければならないでしょう。
では、そのカルマはどうすれば解消することが出来るでしょうか。
個々のカルマは「過去世や現世にて、魂が作り上げた、霊性(波動)」であるでしょう。
この波動には「類魂」という性質があります。想念として、同じ波動を引き寄せます。
以前書いたブログに「人よし 我よし」の性質の波動の集まりの類魂は笑顔が多く、他者が幸せ、我も幸せとなります。
あなたが愛している人が病気になったり、その人が困っていたら、その愛する人の痛みが病気でもないのに、分るでしょうし、辛いと感じるでしょう。
また、一卵性の双子はどんなに遠い場所でもう一人が頭が痛かったり、お腹が痛かったりするとテレパシーで同じ身体の場所が同じ時間に痛くなったりするのと似ているでしょう。
私たちは日常生活の中で言葉の中に思いを入れて、誰にか伝えようとするでしょう。
その思いの言葉は波動ですから、悪い想念の気持ちは、潜在意識にインプットされて、記憶されます。
仏教ではそのようなことを「善因善果、悪因悪果」と言います。
良い波動は良い現象を引き寄せ、悪い波動は悪い現象を引き寄せることになるという教えです。

その「因」は一度意識の中にインプットされると自然消滅していくことはありません。その形が何らかの形で表面化して来ます。しかし、その形を取り除けば消えて行きます。
ですから、「因果」になる前に発散させる方が良いのです。
大病を患わない人は小さな病気にかかることで、「因」が大きく育たない為に小出しになっているとも言えるでしょう。
毎日の生活の中で悪い想念を作りそうになったり、してしまった場合は内省して、悔い改める必要があるでしょう。
自分で気づき、自分で納得し、自分で悔い改める必要があるでしょう。
個人レベルでのカルマの解消は自分自身で気づいたときから、清算して行く「こころの癖」をつけて行きましょう。
しかしながら、個人以外にも現世で輪廻転生した先祖、国、そして、人類全体のカルマは、関係する類魂同士で力を合わせて解決しなければならないでしょう。
個人レベルであれば、病気や怪我、さらに不運な出来事として表面化します。
先祖代々のカルマや国のカルマは、それぞれの子孫や国民の不幸な出来事として表面化して行きます。
私たちが気づかない場合は、先祖などは子孫に縋って来ますから、そのことを全く気づかないと、亡くなってしまっている未浄化霊の先祖達は子孫を憎んだりすることもあります。
さらに、人類は今まで地球を汚染し、南米や東南アジアなどの国を破壊して来ています。
個人のカルマが病気や怪我や人間関係での争いがあり、そのカルマの解消があるように、地球は環境汚染、地球温暖化、異常気象、自然に起こる山火事、大洪水、地震、戦争、内戦などによってカルマの発散を続けています。
知らず、知らずに人類はこの地球を傷つけて来ています。
それが、21世紀の水がめ座の時代に表面化しているのです。
自分達の祖先や国がして来た償いをこの時代に清算する必要があるのです。
みんなでして来たこの汚染や破壊です。
止めようとしなかった私たちも悪いのです。
どこかでこの悪循環を切断しなければ、ならないでしょう。
その為にも、一人でも多くの魂が個々のカルマを清算しながら、良い想念を持って生活する必要があるでしょう。
私たち人間は自らの不幸な運命を呪うことでなく、気づき、悔い改め、新しい想念を持つ必要があるでしょう。
良い想念を持つことで、この次元上昇中の中でも学び続けることが出来ます。
ありがとうございます。

心霊現象 パート2

11.2:350:236:0:0:Miraicopy:center:1:1:過去、現在、未来を視る・・・。 ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
今年もさらにここキプロスは暑い!すでに砂漠と同じほどの温度と言っても過言ではないでしょう。地球全体が暑い、暑い・・・。
昨日、ここで唯一仲良くしている日本人の女性と「前世」やその他、心霊の話になった。私は基本的には「前世鑑定」「オーラ鑑定」は今はしていません。(ケースバイケースで、必要があればお話します。)
彼女は「人間は人間に生まれ変わるの?」と質問して来た。
「ほとんどの人は人間として生まれ変わっていますねぇ。」と答えた。
現世は日本人で前世はエジプト人だったり、その他、チベット人だったり色々でしょう。でも、前世に拘る必要はないでしょう。
エジプトやギリシャなど古代遺跡が残されている場所は人間が作ったとは思えないほどの素晴らしい彫刻やピラミッドさえもあります。
ここ、地中海で栄えたであろうと思われる文明もあったでしょう。
地球は滅びることはないでしょうが、変化していることはほとんどの人が分るでしょう。その地球人に向けてあの世から色々な方法で私たちに気づきを送って来てくれています。
しかし、多くの人が死を直前にして初めて、「生きるとは?」「死とは?」と考えることでしょう。そして、その家族が亡くなったり、親しい人の死別にて、霊的な事を学ぶことでしょう。
あの世にいる霊達がどんな形でメッセージを送って頂き、霊媒者、霊能者、サイキック達が理解出来るのか、お話して行きましょう。

  • ラップ現象
  • 物質移動現象
  • 心霊写真現象
  • 直接対話現象
  • 物質化現象

これらの現象がセットになっている場合もあります。
霊性を高める為に必要な精神統一を学ぶことで、精神的にも波動的にも良いバイブレーションになることで、本人特有の霊覚で感じ、霊達とコンタクトが取れるようになります。
ここでいう霊達とは高級霊達のことです。
パート1でお話したように、最高の霊能を求める為の練習、修業の成果途中は平凡で詰まらなく思うこともあるでしょうが、時間をかける必要があります。焦ってはいけません。焦るとイタズラをしたい低級霊が本物を装って憑依してしまうこともあります。
そして、同じものでも人によって感性が異なりますから、その感識や方法が違いますし、霊能者も日々の生活で精進しながら、低級霊に足をすくわれないように心がけながら、自分の霊能の性格や表現力を学び続け、智慧をつけながら、真剣に、そして、誤らないように心がける必要があるでしょう。
その霊が伝えたい内容を受け取る方法は様々です。

  • サイコメトリ
  • テレパシー
  • 霊視現象
  • 体外遊離現象(幽体離脱現象)

この他にも、亡くなった人の文章や筆体を見て、霊視する方法もあります。
さて、ここ最近、英語の単語で皆さんが使っている言葉に「スピリチュアル」という言葉があるでしょう。スピリチュアルはサイキックよりも上の段階です。
私は「死者との対話」「霊との対話」のときは、霊視します。
でも、皆さんが普段悩んでいる夫婦関係、恋愛、仕事などにて、過去、現在、未来を視るときは、透視します。
霊にも人間にも個性がありますから、亡くなったら、性格が温和になるかというとそうではありません。
スピリチュアリズム発祥地である、英国でスピリチュアル・カウンセラーさんに鑑定を受けて貰うのであれば、基本的に霊視ですから、霊との対話になります。
絵が上手いスピリチュアル・カウンセラーさんであれば、お部屋に入るだけで、メッセージを受け取る側の依頼人の会いたい人の似顔絵を描いてくれたりします。
依頼する側、依頼を受ける側も必ずいつの時代かにご縁があり、必ず貸し借りがあります。
ただ、人間同士ですから、相性もあります。
今の世知辛い時代に生まれて来ている人間で悩みがない人はいないでしょう。
ただ、他力本願ではいくら最高の霊能者に見て貰っても、自分で切り開いて行く勇気がないと、10年先も同じように悩んでいるかも知れません。
スピリチュアリズムは霊達があの世から、あの世があることを証明して頂いております。あちらにいる霊達は私たちが霊的に向上して行くことを楽しみにしてくれています。
その為に、科学では証明出来ないが、本当にあの世があることを証明する為にも多くの霊能者達が個人的な鑑定を通じて、あの世があることを証明していると思います。
霊にも色々ですから、その霊能者の食生活、言動を見るとどこと繋がっているかお分かりになることでしょう。
お釈迦様、キリスト、さらなる聖人達は精進に精進を重ねて、開花しました。そのレベルまでに達している人は今の時点では、この世には転生していないと思います。
でも、その教えは多くの人を通じて、伝わっているでしょう。
昨日、霊的なことを信じなくても、親族の死別、その後、霊能者との出会いによって、見えない世界に興味を抱き、「生きるとは、死とは」を学ぶきっかけになるでしょう。
そのきっかけを教えてくれている霊達からの現象を道具意識のある霊能者が真剣に愛情深く、霊からの伝達、そして、それを上手く霊の世界を信じない人に教える作業は言葉の通訳よりも大変なことです。
そんなお手伝いが出来る霊能者は幸せです。
一人でも多くの人が、この世に生きながら、あの世に帰った霊達と波動を合わせてお話が出来る時代がこの時空を超えた後に待っているでしょう。
次回は上記に書いた現象や方法のお話をしましょう。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

今日、霊視した方からメールを頂きました。詳細は省略させて頂きます。
『母親のことで心底悩んでいて、死なせてしまったことについて自分を許してはいけないと思っていたので、先生のお言葉で心が解放されました。母もそんなことは望んでいないんですよね。
アドバイス頂いたことをひとつひとつ確実に実行していていって、家族円満で笑いが耐えない家族を作ります。本当にありがとうございました。』

いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

心霊現象 パート1 ☆

7.7:185:350:0:0:DSC00169:center:1:1:SAGBの中にある像  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
心霊、スピリチュアル、その他に不思議なモノに興味を抱いたり、その心霊を学ぶときに、何よりも魅力的に思うのが、「霊能」を持つことであり、その霊能に憧れのようなものを抱いてしまう人も少なくないでしょう。
私たちは未知なるものを求め、さ迷い続け、それを求めることは決して悪いことではないと思います。
しかし、何事にも段階があります。
たとえで言えば、泳ぎでしょうか、競技に参加する人はその道のプロですから、練習を重ね、葛藤を重ね、肉体も精神も強く、さらに、すべての泳ぎ方をマスターしています。それと同じで、昨日、今日、明日ぐらいの練習で霊界からの通信を上手く受信するには無理があるかも知れません。
いくら受信が出来たとしても、自分の中にエゴが生じている場合もあるでしょう。
霊界から色々なメッセージが送られています。
霊界にも段階がありますので、送る側も人類のことを思う偉大な霊達からのメッセージもあれば、先祖、自分の身内からの個人的なメッセージだったりします。
ですから、危険性があることを承知で練習することです。
練習段階であれば、一人でやるよりも複数の人たちと日にちを決めて定期的に練習や交信の日を設けてすることも良いと思います。
さらに、練習を進める過程にて、理解しておかないといけないことがあります。
それは、霊能となるものには無数といってよいほどの種類やレベルがあり、個人で開発出来るのは、その中の一部です。
持って生まれ天命としての使命があるものであれば、潜在意識の中に霊格として定められていますので、練習しなくても開花してしまう可能性もあります。
どういう意味かと言いますと、心霊現象は人間と霊との共同作業です。

人間側の方がいくら素晴らしい受信機としての役目が出来る人でも、霊の方に発信する機能がないと送りたくても送れないという現象もあります。
この発信をバイブレーションといいます。つまり、振動です。
波動とも言われるものです。
この宇宙に存在するものすべてにバイブレーションが備わっています。道端に転がる小さな石ひとつにも、このバイブレーションの原理で動いています。
そのバイブレーションの一定の刻みは波動となり、波動が多いほど高級であり、少ないと低級となります。
それと同じで波長の短い高級なバイブレーションを出している人は高貴な人格と言えるでしょう。
その反対に波長の長い低級なバイブレーションを出している人は賤しい人と言えるでしょう。
さらに、同じ波長のものだけが反応し合うことを「波長の法則」と言います。
逆の波長、バイブレーションの間には何も生じないということです。
霊界からの通信にもレベルがあるので、どこからのバイブレーションによって異なるでしょう。
高級な通信を求めるモノは自分の人格を高める必要があるでしょう。
練習中に「ある物が見えた」「ある声が聞こえた」「ある人がいるのを感じた」などで喜んでいてはいけません。それは、心霊現象または霊的能力がどういうもであるか、受ける側の精神面での発達、または人格、霊格によって異なって来ます。同じ霊能でもその価値の格差はその人物の人間性、さらに、その時の霊に対する心掛けによって変化します。
霊能の開発、学ぶ経過に、遊び半分に現象のみに拘らずに、「より高いものを求めることが大事です。」
日本で私が子どもの頃に、全国の学校で流行った心霊遊びで「こっくりさん」「キューピットさん」というのがありました。
これは二人で10円玉を動かしたり、ペンを動かしたりして霊を呼ぶ心霊現象ですが、どちらも低い心霊遊びでしょう。
海外ではウィジャ盤というのがあります。
これは一種の占いみたいなものでしょう。
この種の占い的な現象で背後で働く霊達はあまり高級とは言い難いです。ふざけたイタズラをしがちで、巷で夏になると幽霊屋敷探検やポルタガイストなども、高級霊ではなく、悪ふざけをしている霊の仕業である場合が少なくないでしょう。
しかし、すべての現象が低級霊だと言えません。
現象を通じて素晴らしいメッセージを送って来る霊は、亡くなる前に立派な人生観を備えた人も登場することもありますが、やはり、動物霊を意識した「こっくりさん」とかは低級にて危険であることは確かである。
そのまま、憑依して精神科に送られるケースもあるでしょうから、用心をしておいた方が良いことを肝に命じて欲しいものです。
いつもながら言い続けていますが、昨日、蒔いた柿の種が、今日、花が咲かないのと同じで、霊能も自然界と同じことです。
ですから、いくら立派な霊能者といえ、やはり、泳ぎと同じで単純な訓練、単純な現象の段階を一歩、一歩進んで行く必要があるでしょう。
同じ、霊能を求めるのに、ほとんどの人は最高を求めると思います。その心構えがあるのであれば、霊能は霊能であっても「高級な霊能」を求めるでしょう。
その心構えがないと、低級霊に弄ばれて貴重な時間を費やすだけになりかねません。
そのようなことがない為に、低級な現象と高級な現象とを理解しておく必要があるでしょう。
この続きは次回に致します。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

ライフ イズ ビューテイフル ☆

129.5:251:350:0:0:suirenkaz:center:1:1:深い愛とは    ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
スピリチュアリズムに興味を抱き、真理の追究をしている方へ贈るエッセイです。
どうぞ、深呼吸して読んで下さい。

人生は素晴らしい。人生は輝かしい。
いつでも自分で決めて納得して、前進できる。
天国と地獄の間を人は選ぶことができる。
子どものようなこころを持って生きるとき、
この世に必ず確定したものなどないと悟ることが出来るだろう。
昨日まで欲しかった高級ブランドのバックでさえも、
何度が使うと、飽きてしまう。
追いかけて、愛した恋人でさえも、所帯を持ち、
生活の一部の存在になってしまうと感謝を忘れてしまう。
この世に存在するモノに、絶対という確定したものは何もない。
真理、生命、神、永遠・・・。
すべてを包む愛・・・。
生きている限り、これらを追い求めるだろう・・・。
形は違っても、言葉は違っても、追い続けるだろう。
生きている限り、探求を続けて行くだろう。
でも、本当は真理をみつけることは出来ない。
それは、真理を掴んだときには、
すでに真理ではなくなっているからだ。
子どものような心を持って生きると、
生きることが楽しくなるだろう。
多くの事を知っていても、自分が偉いと感じないだろう。
自分だけが特別な存在になってはいけない。
人類に、ただ仕えているだけ・・・。
自分だけが特別な人生だと思ってはいけない。
みんな、それぞれ型にならない、
迷路みたいな人生を送っているだろう。
人は迷い、混乱し、さ迷い続けるほど良いだろう。
きっと、満足出来ないだろう・・・。
とくに「自分自身」に対して・・・。
でも、生きる・・・。
そして、愛している・・・。
こころで生きることができる、
子どものような心を持っているから・・・。
だから、生きる・・・。
そして、愛している・・・。
真の愛を探し続ける為にも・・・。
愛することだ。
愛することだ。
深く、深く 愛することだ。
そして、自己中心的な呪縛から自由になればよい。
それだけ、深く理解出来るあなたになれば、
子どものように、人に対して優越感を持たなくなるだろう。
真の愛があなたを包み覆う。
真の愛で包まれているあなたは、霊的傲慢という
呪縛で苦しんでいる人を救うことが出来るだろう。
だから、子どものようなこころを持ち
真の愛を探し続けて行こう。
あなたはそのこころを持って生まれている。
だから、深く、深く、愛することだ。
ありがとうございます。

死と生き方を考える ☆

19.5:288:350:0:0:india:center:1:1:死ぬまで現役 よいしょ! ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
ここ最近、新たにお友達のご紹介で鑑定依頼を受ける方々の依頼は「死者との対話」が増えております。死者との対話は霊視致しますので、透視ではないので身体が思いっきりしんどい時もあります。霊媒としてしては致しておりません。
霊視は常に自分を「無」にした瞑想中に近い状態でしますので、未浄化霊の方ですとかなり危険性があります。しかしながら、スピリチュアルワールド(あの世)にいる指導霊も霊視する際に、守護してくれておりますので、お任せで道具意識にてやっております。
さて、人は死にぎわにて、人間最後と言える最大の欲望はやはり「生命欲」ではないでしょうか、肉体が蝕まれている、または、老いて来ている中で、これから、生命という火の玉が消えて行こうとするさい、線香花火みたいでオレンジ色の炎が一瞬、一瞬とこの世から消えてなくなる光景に似ているかもしれないでしょう。
その生命欲の断絶が「人の死」ですから、死に対する悲痛の叫びは、これまで長い間に生きて来た深い想いから「生きたい」とすがり付く感情に変化するでしょう。
特に、闘病生活が長く、口から食事を通さないで、この世からさって行く魂さん達は、食べ物に対する欲求がありますから、しばらくはこの世をさ迷っていることが多い様子です。
私の亡くなった前夫も母もそうでしたが、亡くなる2週間は食べたくても食べれない。生きている喜びの中に口から食を取る事で欲求が満たされるでしょう。
前夫の場合は血小板が最後には必要なほどの状態でしたから、生きているのか死んでいるのか分らなく本人もなっていました。
この「死」こそが、人生最大の悲痛が現実に誰にでも待っています。この死生観を乗り越える為にも、死は身近なものであった日本の家族構成だった少し前から、ここ最近では世界一の長寿国と呼ばれている日本ですが、長生きすることだけがこの世の学びではありません。
病院の固いベットに寝かされて、ただ延命剤を投与されて、口から食事もされず、病院側は国から医療費を取り続け、健康にならない生きた屍を放置して、人として優しい声もかけて差し上げることなく、現代風の姥捨て山ではないでしょうか。
家族も病院にいると世間体には言いながら、お金は出すから、介護も放棄し、お腹を痛めて生んでくれた母でさえも、仕事が忙しいから、付き合いがあるからと言って言い訳しては、病院に老婆になった母の顔を見に行かない人も増えて来た様子です。
一昔であれば、三世代のお宅が普通ですから、お年寄りが家にいるのは当然ですから、お迎えが近づいて来ると、病院で検査を受けて貰った後に、家でしばらく介護している間に親族や友達とのこの世とのお別れ、そして、息をひきとる様子、その後、お通夜、霊柩車、火葬場、お墓というプロセスが合理化の為に「病院に入れておけば良し」と思う人たちが増えて行っている気がするのは私だけでしょうか。
長生きはした方が多くの気づきや学ぶことが出来ますので、長生きはしたほうが良いと思います。
しかし、病気で長生きするということは、それだけ苦しみが長引きます。
その苦しみの想念があると、死んでも苦しみが消えないときが多いのです。
つまり、死ねば、その苦しみが消えるのは、身体の痛みであって、死にざまによっては、来世のカルマ(業)になる霊もいますし、死んだことに気がつかないでこの世をさ迷い続ける未浄化霊もいます。
実際にはお医者さんから見放された治る見込みもない重病人でも、命が永延でないのに、延命の為に治療が行われ、自然にも死なせて貰えないものです。
見るも痛ましい末期患者であれば、治る見込みがないのであれば、自宅で自由に本人がしたいことや会いたい人たちもいるでしょう。
末期患者の痛みは見ていても辛いものです。本人が意識があり、安楽死を希望しても生きている病院側は本人が意識がしっかりしているのであれば、その胸の内を受け止めてあげる方がこの患者達も安らかにあの世に帰れる様子ではないでしょうか。
たとえば、私の母なども難病指定でしたから、日本に帰って話せない母に「もう〜!お母さん、頑張らなくて良いから・・・」と告げるとしばらく食べてない母は「死にたくない!」と大きな声を出していました。
その後、兄と私が話していたら、母のお父さんが現れたのが母には見え、「お父さん〜!」と叫んでいました。その前に母に「なんで、おばあちゃんが来たのに、行かない〜!」のと聞くと「死にたくない!」と言っていました。
この会話が出来る様子をお医者さんがみて驚いていました。
2週間近く、声も出ず、寝ていた人でした。
その「お父さん〜!」がお迎えに来てくれた日だったので、今日、明日には息を引き取る予定でこころの準備をしていました。
ふと、お部屋に帰ると何やら大きな器具を取り付ける用意を看護婦さんとお医者さんがしていました。私が「その器具は何ですか?」と訊ねると、無言でした。
その後、主治医に呼ばれて、兄と義理の姉と私と主治医との面談の際に、「おかあさんに長生きして貰いたくないのですか。」と聞かれました。
「もちろん、元気になるのであれば・・・。」と答えると、何やら理解出来ない説教が始まりました。兄が「ただ、命を長引かせているだけなら、母も今の状態よりあの世に行った方が良いのではないでしょうか。」と言うと、「ですが・・・。他のご家族は長生きして貰う為に色々としますよ・・・。」と主治医。
「妹は霊能者で、あの器具をつけなければ、今夜、または明日に行くと分っています。すでにお迎えに来ているし、母もこの道を閉ざすと三途の川を越えれません。」と兄が言うと、主治医は苦笑いしていました。
人の死にざまにおける、臨終のあり方は、生涯でこれほど難しいものではなく、しかし、その人の最後の想念は大変大事です。
では、何がこの大事なことを決定するでしょうか。
生きざまの立派な人は、この地球上に沢山いるでしょう。しかし、死にざまとなると、どうでしょうか。人生の最後はどうでしょうか。
ですから、臨終は人生の最も大事な行事ではないでしょうか。
死=終わりという観念で生きて来た人ほど、死ぬこと=悪いという意識になっていることでしょう。死は決して、一切の終わりではありません。
生きているということの方が肉体と言う「物体」の中に入り込み、この肉体が成長し、年を取り、病気になって臨終を迎える「生・老・病・死」を通過します。
死はもともと、大変厳粛であり、人は、この世に生きている間、どんなに辛いことがあっても、どんなに苦しんでも、死ねば、天国に行けると信じている人がいます。
また、死ねばすべてが終わると思っている自殺願望者がここ最近増えているそうですが、果たして、死ねば「本当の死」を迎えられているでしょうか。
生きているときに何ひとつ良いことがなかった、死ぬときには安らかに行きたいという人は、果たして安らかに行けたでしょうか。
何事も「こころの癖」の思いではないでしょうか。
歳を重ねている現役老人達は、病院に捨てられるぐらいなら、家で野垂れ死に死んだ方が良いと言います。
そういう老人達は、人生を精一杯に生きて来た人たちですから、死の直面でもニコニコ死んで、息を引き取る人もいます。
生きている間に誰かをねたましく思い、物質価値に拘り、常にお金さえあれば幸せになれると願い、健康なときに、自己管理もせずに食べたい放題、飲みたい放題と不摂生を重ねた、自分にも我侭な人は、人生を精一杯生きることなく、一日を無駄に過ごし、人生から甘い汁のみ吸いたがり、最後の死の直面だけが、どうして華かでありましょうか。
死とは、その人の一生のすべてを凝縮した一大事でしょうから、臨終が穏やかであるようで、それこそが、その人の人生のすべてのフィナーレと言えるのではないでしょうか。
もちろん、この世であちらに行きの切符を手にした人を送り帰すときは、寂しいし、悲しい、辛いしということは地球上に生きている誰もが遅かれ早かれ体験することでしょう。
しかし、その人の死にぎわが素晴らしい形であれば、その人はあの世でも素晴らしい活躍をして下さり、この地球に住んでいる人たちに多くのメッセージを送って頂けていることは感謝の賜物ではないでしょうか。
死は肉体から魂が離れるだけで、想念というのは持って帰れます。
ですから、肉体が無くなるだけで、死んだら性格も変わることもなく、死んだら魂が向上することもないのです。今、生きているそのままが、反映されて、あの世でも似たりよったりの生活をするだけです。
そう考えると、生きている間に沢山の気づきを頂きながら、日々の生活で精進をしながら、「死」に対しても悪いことでなく、一生懸命に生きることで、それも最後の最後、唾を飲み込むことが出来ないぐらいになるまで、そして、自分の身体はご自身が一番良くご存知でしょうから、日頃からの健康管理は心がけましょう。

お医者さんに頼るよりも、自分の身体との対話、そして、天命を貫くことで、死にぎわも多くの学びがあるでしょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

追伸:今回のブログは病院、お医者さんを否定するトピックではありません。夜も昼も患者さんの命を考えているお医者様も多くいらっしゃいます。ただ、そのお医者様方は現場でマザーテレサさんのように、慈悲愛のある方達ですので、治してあげているというより、一人でも多くの人が元気になって頂ければと思うこころの持ち主でしょう。
多くの方が、人事でない自分も、そして、自分の家族にもいずれ訪れる「死別」を学ぶことで、生きている人も、あの世に先に帰った人も心地よくコンタクトが取れる時代にする為に、一人でも多くの人が心霊を学ぶ機会になればと心よりお祈り致します。
ありがとうございます。

歩く聖人と呼ばれたマザーテレサ ☆

8.6:279:350:0:0:mother-teresa-01:center:1:1:無償の愛を与え続けた 歩く聖人マザーテレサさん ありがとうございます。:
こんにちは!
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
今朝、「テレサ」という声が聞こえました。私の友達の事かな〜?と思いつつ、無視していたら、その後、「ロザリオ」の映像が見えました。
先日書いたブログの延長のお手本になる20世紀の聖人「テレサさん」のお話をすることで、この21世紀に突入して「こころの時代」と言われるようになりましたが、テレサさんは神様の声を聞いて、亡くなるまで神様の奉仕に身を捧げた方でした。
そのテレサさんの行って来た活動を知ることで、一人でも多くの方がこころの奥に閉まっていた「内なる神様」を思い出して頂ければと思います。
さて、マザーテレサさんは、1910年8月26日にマケドニアのスコピエでアルバニア人夫婦の娘として生まれ、本名をアグネス=ゴンジャニボヤジューと呼ばれていました。
その後、修道女として、テレサと呼ばれ、その後の活動を通じてマザーテレサと呼ばれるようになりました。
マザーテレサの父のニコラは、建築請負業と食料輸入を共同経営で手広く営んでいました。しかしながら、彼女が9歳の時に45歳の父は毒殺され、その資産は共同経営者達に横領され、遺族に残ったのは唯一家のみでした。母のドラは、悲しみのあまりしばらくは呆然自失となりましたが、そのうちに繊維製造業をはじめ、三人の子どもを育てていきました。
テレサさんが12歳の時に、スコピエにあるレトニスの聖母マリア像の前で、初めて神の声を聞き、それに答えるべく自分自身を神の奉仕に捧げることを心に誓いました。
その6年後、18歳の時に、家族および故郷と別れ、修道女となりました。そしてインドに趣き、彼女の修道生活が始まります。
その頃のインドは、独立に向けて苦しい歩みを進めており、マハトマ=ガンジーが大衆的非暴力抵抗運動を全インド的に展開していました。1939年には第二次世界大戦の暴力に巻き込まれていき、その後もヒンズー教徒とイスラム教徒との紛争が生じ、カルカッタの街路を血の海にかえ、食物や日常品の運送は完全にストップするという事態も生じました。
1946年の9月10日、マザーテレサさんはダージリン行きの汽車に乗っていました。その時、彼女はまた神の声をはっきりと聞きました。
 「すべてを捧げてスラム街にまであのお方、キリストに従い、貧しい人の中で、その方に仕えよ。」とのメッセージでした。
そのメッセージ後は、それまでいた修道院を出て、貧しい人々と共に住むことになりました。その後、色々な迫害などもありましたが、彼女は信念を変えませんでした。
後に、テレサさんは、新しい修道院を創設し、修道服として水色の縁取りのある白いサリーを身にまといました。(この色にも意味があります。)
そして、死を待つ人の家、子どもたちの家、ハンセン病の巡回診療所などをつくり、貧しい人、苦しい人、癒されない人を助けていきます。
インドには路上で生まれ、路上で死んでいくという、先進国で生まれ育った人たちには理解に苦しむかも知れない路上生活者がいます。
テレサさんとシスター達は、誰にも看取られずに路上で死んでいく人を死を待つ人の家へ運び、身体を洗い、衣服を着せ、食べ物と薬を与えます。
ある日、貧民街のゴミの中から虫に半分食べかけられていた男性を救い出し、死を待つ人の家へ運びお世話をしました。
その男性は、「私は、道端で動物のように生きてきたが、愛と看護の手に囲まれて、天使のように死のうとしている。」という言葉を遺し、そして天使のように死んでいきました。

ある日、テレサさんは、死を待つ人の家の老婆に、「さあ、元気を出して!私はあなたに生き続けて欲しいの。あなたは、この世に生を受けてきた大切な、大切な人なんですよ・・・。」 と老婆の力なく、だらりと垂れた手を握り、目をじっと見つめていました。
息をするのがやっとの老婆の口がゆっくりと開いて、蚊のなくほどの言葉を押し出しました。
「あ・・・。」テレサさんが、「さあ、しっかりするのよ・・・。しゃべって下さい。」と励まします。
老婆は、とぎれとぎれとなりながらも、「あ・・・りが・・・とう」と言いました。
そして、老婆の目はとじられ、呼吸は止まりました。

老婆はきっと母なる愛を感じることが出来たでしょう。
死ぬ直後に初めて、人間として認められた歓び、長く辛い人生の旅を思い出し、死を待つ人々に「愛のある言葉」を捧げ、見取られた人たちは安らかに眠りについていけたことでしょう。
マザーテレサさんを慕う女の子達は裕福な家庭の子女が多く、彼女達は家、財産も捨て、貧しい人、病気を持つ人、苦しい人の世話にその生涯を捧げます。彼女達には修道女としてのサリー2枚と洗濯用のバケツ1つが与えられますが、私物はほとんどありません。
彼女達は、何故にシスターになることを選択し、マザーテレサさんのように生きようとしたのでしょうか。あるシスターはこう言っています。
「ここには、シャンデリアも美味しいケーキもないけど、私にとっては、昔、お嬢さんでいた時よりも数十倍も楽しいのです。たくさんの苦しんでいる人が私を待っていてくれる。私は貧しい人、苦しんでいる人の一人になることが出来たのよ。私は何も持ってないけれど、私の胸にはこんなに愛が溢れています。」
この世に生まれ生きて来た多くの人間は世間の評判になろうとか、富を得ようとか、名声を得ようとか、注目をあびたいと願い、さらに、社会奉仕とか、慈善事業をすることで、世間から善い人と思われたいと願っている人もいるでしょう。
しかし、シスター達はそう思って仕事をしていません。さらに、悲壮感を感じながら仕事をしているのではありません。
ただ、貧しい死者達は死ぬ前にも「この世に生きてきて、良かった」と感じることが出来る役目をシスター達はして来たと思います。
マザーテレサさんは、神の啓示を受け、多くの人を助けるようになりましたが、いつも神に「私をあなたの平和の道具としてお使いください・・・。」 と祈っています。
そして、「神は、私達にさせたいとお望みになったことを、示してくださいます。」 と言い、そのように行動しています。
このテレサさんの言葉は、スピリチュアリスト、ヒーラー、セラピストであれば、「神様の道具意識に徹底する謙虚さ」の意味が分るでしょう。
その神様の道具意識を徹底していたマザーテレサさんは強い霊媒であり、自分の身を通して神の意向を反映することを何よりの喜びとしていました。シスター達も、マザーテレサと同じようにその喜びに満ち溢れています。

「死を待つ人の家」では、シスター達がにこやかによく笑い、死を待つ人々がいるところとは思えないほどに明るく華やいだ雰囲気があるそうです。そして、マザーテレサさんは、「私達の仕事は、誰かに惜しみなく愛をあびせること」とおっしゃっています。
私たちはインドに拘ることなく、遠い国に行かなくても、そして、シスター達のように死を待つ人の家で働けなくても、誰かの為に、ちょっとした笑顔、ちょっと元気にしているか電話をかけたり、目の見えない人の為に代筆して差し上げたり、新聞を読んであげり、お年寄りに声をかけて荷物を持ってあげたり、席を譲ってあげたり、妊婦さんのお手伝いをしたり、自分をこの世に生んでくれた両親に感謝したり、ささやかなプレゼントをあげたり、いつも側にいて一緒になったご主人に、奥さんに感謝の言葉を言ったり、それ自体はとっても小さいことでしょうが、小さいけど神様の愛の行動なのです。
その神様の愛の行動を実践して頂いたマザーテレサさんは、「20世紀の最後の聖女」と呼ばれていましたが、彼女は忠実に神様の道具として人々の救済活動を続けきました。
そして、今でも、天国から貧しい人、苦しい人、悲しい人へ、母のような慈愛をこの地球に向けて送り、癒し続け、励ましてくれているでしょう。
ありがとうございます。

居心地の良い暮らしは自分で作る ♪

18.2:350:263:0:0:DSC00089:center:1:1:生活が苦でも、生きているだけでも、立派な修行です。ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
先週末に山に一泊したのですが、突然の雹、止んでは降り始める豪雨。お昼ごろからは、晴れていましたが、欧州でも涼しい場所が暑く、雨があまり降らないオーマンとかも豪雨の為に、驚くほどの水嵩で車を運転している人達でさえも流されていました。いつもなら道路なんでしょうが、川になっていました。豪州でも死者が出来るほどの豪雨だった様子です。
天気予報でさえも予想出来ないほど、地球は変化している様子です。
私たち人間以外の動物や植物は異変を感じている様子です。しかしながら、人間も感じている人も多いと思いますが、無視している人の方が多いのではないでしょうか。
さて、私が今住んでいる国は今まで住んだ国に比べると治安は良いが、不便だと住み始めた当時は思ったものです。
しかし、私が長年住んで来た豪州も80年代はここよりもさらに不便でした。
ですから、便利に慣れてしまうと、五感も鈍くなるでしょうが、六感、つまり、インスピレーションと呼ばれる直感力が衰えていることでしょう。
動物でもペットとして飼われている動物達は六感が衰えている様子です。
生まれたときから、五感を主体として生活している為に、霊的な心霊現象にしても霊能にしても、目に見えるモノ、耳に聞こえるモノ、触れてみることが出来るものに魅力を感じる時代でしょう。
ですから、見る者は感動し、その行為を行う者は偉大な人物になった気分になりがちです。西洋、東洋を問わず昔も今も大なり小なりの宗教のリーダー、または、霊能者で物質的に拘る人は、自分は神様の生まれ変わりだとか、お釈迦様の化身である、申し子である、生まれ変わりであると言い出し、周りもきっとそうだろうと思い始めることから成立して、羊飼いの群れのように誘導されてしまいやすいでしょう。
しかし、心霊学的にみると、そうした現象は派手なものほど質的には低級であり、その霊能者の背後で演出している霊も差ほど高級ではない様子です。
この世的なことに拘る霊は物質面で浄化していないままで高級霊を装って霊能者を誘導するようです。
高級になればなるだけ、物質な手段よりもインスピレーションのような霊的波動を使用した方法を手段とすることでしょう。
このインスピレーションは人間側に心霊知識があるか無いかは関係ありません。
インスピレーションの質の低い高いは、最終的にその人の人間性の高さ、純粋さによって異なるようです。
では、この質の高いインスピレーションを得るにはどうしたら良いでしょうか。
今の時代は先進国であれば、便利で当たり前の生活になっています。
そして、時間も急速に流れている中、速い=便利という生活になりつつあります。
日本もこの便利になって20年ちょっとでしょうか、昭和30年代であればまだまだ旧式で遅くて、それほど裕福でなかったでしょう。
ここ最近、この裕福でなかった国で急速に経済国になっているお隣の中国ですが、10年前ごろは、同じ服、同じ髪型、同じ自転車に乗って通勤もしていました。
中国の上海だけで日本人口とほぼ同じです。その中国は日本よりもさらに格差社会にてお金持ちは車を買うようになりました。人口が多いので、自転車から車社会になると排気ガスの量が異常なほど増えて行っています。
欧州では出来るだけ、この排気ガスを減らす為に苦労しています。
15年ほど前にスイス人の友達に会いにスイスに行った時に、友達の旦那さんは信号の為にエンジンをストップしていました。私たちの地球のことを考えていました。
話は変わりますが、日本の歴史の三大将軍の一人の徳川家康は、「論語」によって人格を完成させたそうです。人間の人生を「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し・・・」という遺訓を残しています。この言葉の中には学んだ仁が述べられていて、人間は「生涯教育」の義務があることを綴っています。
ですから、人の世は「不便」であり、「重き荷を負う」必要があるのでしょう。
イソップ童話のイソップも同じようなたとえ話で「うさぎとかめ」の内容は言葉は違いますが、似ている気がします。重たい物を持っては速くはいけません。その動きは、なかなか前に進まず、順調に行っていないように思うことでしょう。
しかし、これこそが人生生きる中での修行と言えるかも知れません。
もしも、あなたの心が不満で満たされていないのであれば、どうぞ、日本が高度成長期になる前を想像してみて下さい。もちろん、江戸時代でも、鎌倉時代でも構いません。
そして、その時代と今のあなたの環境を重ね合わせてみて下さい。
江戸時代の子供の遊びと昭和30年代前後の子供の遊びは差ほど変わりませんでした。
物質に囲まれた生活でなくても、高級ブランド品や美食三昧をしなくても、江戸時代と思えば、かなり優遇されていると思えるでしょう。
心の癖と同じで、人は考え方を少し変えるだけで、人生の見方は一変します。
しかし、節約を忘れ、不便や不自由を感じる心が芽生えて来ると、心もネガティブになるでしょう。そうならない為にも、自分の心を自由にして、あまり深くその不憫さを考えず「この世は楽しい、面白い、嬉しいことが一杯!」と思うようにしましょう。
子供のころの遊び心を取り戻しましょう。
暗いことばかり考えていると「嫌だ、嫌だ」と思うと心が行き詰まるものです。
神道の教えを実践的に教えてくれた私の祖母などは、夏休みになると色々な場所のトイレ掃除を一緒にお手伝いしていたのですが、汚いという言葉もなく、私も磨くと綺麗になるので、ゴシゴシと金隠しを磨いたりしていました。
何でも考え方次第で楽しくなると思います。
物がないから、自分で作る楽しみ。
不便だから、便利にしようと思うアイデア。
お金が勿体ないから、ある物で創意工夫をして作る喜び。
そう考えるだけで、居心地の良い暮らしが生まれます。
地球が誕生してからの時代から考えると、今の世の中は便利になり過ぎてしまいました。
人生焦って必死に生きても、学ばないまま死んでしまっては、勿体無いことです。
この世で成功しても、あの世では無知でロスト・スピリットにならない為にも、あの世に行くにはいつからでも再出発のチャンスは至るところであります。
早く出世をしても、自分の心が空しければなんの意味があるでしょうか。自分で楽しく過ごせれば良いのであって、自分自身の人生ですから、誰に批判されることもないでしょうし、人それぞれ、同じ人生はありません。
そして、死ぬ時期が来たときに、自分の人生は素晴らしかったと思えるはずです。
ある哲学者が言っていました。「この世で太った豚にならず、痩せたソクラテスになれ!」
死ぬまで現役で自分で楽しみを見つけながら、プラスに考える癖をつけて行きましょう。それは、同時に自分を信じることになるでしょう。
人間は信じることで、心が活性化する生き物なのです。
どんなに不可能な状況でさえも、自分を信じることで、必ず、霊界から質の良いメッセージが届くことでしょう。
心が無垢でいると今の時代は一見損をしているように思うでしょうが、決して、損はしていません。大きな気づきを頂く方が、ダイヤモンドの指輪をつけるよりも、輝いています。
感謝しながら、地道に楽しみながら生活して行きましょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
 

疑問を持とう ☆

12.6:300:225:0:0:see01a:center:1:1:ご一緒に学んでいきましょう。 ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
最近、多くの方からリクエストがありまして、腱鞘炎の手首をかばいながら、期待に副えているか分りませんが、時間を作って綴って来ております。
多くのメッセージも頂くのですが、私の拙い文章ですと短く簡潔に書いて行こうと思うのですが、どうも無理みたいです。「旦那にはそんなに長く書くと誰も読んでくれないだろし、続編にしてはどうか。」と、アドバイスを頂いたりすることも何度もあるのですが、私の性格はのんびり怠惰な性格ですから、明日とかでもいいかなと思うことがありますが、明日になると違うメッセージが来たりするので、さらに書くことが多くなる状態です。
結構、自分でも沢山書いていると思うこともありますが、スピリチュアリズムを追求すればするだけ書きつくせないでいます。 聖者たちが今の地球を救うためのメッセージを誠心誠意で綴らせて頂けることは大変嬉しいことです。
私たち人間は人其々の好みがあるでしょうから、真面目に書いたり、少し辛辣な書き方をして来ています。
文章でスピリチュアリズムを語るには限界があるかも知れません。
いつもながらに申し上げますが、エジプトの「ピラミッドはどんな形か。」と誰かに聞かれると三角という方も多いでしょう。しかし、上から見ると四角に見えたりするものです。
先日のキリストのたとえ話でもそうですが、聖書でさえも誤解を招いている文章でさえもあります。
ですから、わたしの書く拙い文章など、わたしが伝えたいことが分り難いかもしれません。
そんな中でリクエストを頂けると嬉しいものです。
同じ地球人として生まれ、個々のカルマを背負いながらご一緒に「真理の追究」が出来ることは大変嬉しいことです。
さて、その地球人として転生して生きていますと、人、それぞれにて恐怖を感じるものが異なるでしょうが、多くの人々に共通する恐怖の対象は「死」ではないでしょうか。
「死」の反対の「生」も同じく恐怖があるでしょうが、生まれて来ることは喜びに繋がります。
どの宗教でも、死の恐怖を和らげる為の教えが中心となっていることでしょう。
お釈迦様は、悟りによる輪廻のサイクルからの解脱として死の問題の解決、キリスト教では、終末における再臨のキリストによる復活にて、死の問題に目を向けています。さらに、イスラム教では、この世を正しく生きることによって終末のアラーの審判で天国行きの約束の切符を手にすることができるとして問題解決をして来ています。今までの私たちは、宗教にすがって死の恐怖を乗り越えようとしてきました。
日本では、道元師の禅の教えが中国から持ち込まれる鎌倉時代に、親鸞様や日蓮様も日本各地で起っていた天変異変の中で飢餓や病気で死んで行く人たちの為に、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」を唱えることで、死後の世界で救われると言っていました。
しかし、本当に死後の世界で救われたのでしょうか。
私たち人間は死後、誰もがあの世(霊界)に行くようになります。信じる信じなくても死後の世界は存在します。死後の世界の存在を信じない人でも、死んでしまえば必ず霊界で生活するようになります。
そうでなければ、スピリチュアリズムの通信霊方達がこの地球の為に多くの人々を通じてメッセージを送って来ることもないのです。
このスピリチュアリズムを通じて明らかにされたことは、「これまでの地球上の宗教では、死後の救いは成就しない」ということです。いくら従来の宗教にすがっても、人間は死後の救いを得ることはできないのです。それは、霊界に帰り多くの人間が、死後あまりにも醜い状況に堕ちています。現世にて熱狂的な信仰者の多くが死後、救いとはほど遠い環境の中に置かれています。
あの世こそが、私達人間にとって本来の世界であり、この地球上はそのための準備の世界にすぎません。この地球上の人生において霊界へ帰る日のためにしっかりと準備をすれば、死後には喜びに満ちた生活が待っています。
生きている間に過激に信仰熱心だった多くの人々が、死後にこの世の生活を後悔したり、苦しみを体験することもある様子です。
また、この世で宗教と関わりを持ちすぎた人間だけでなく、この世で無知な為に、その多くの魂は、死後の世界の用意もしないままあの世に帰るために、死後の世界に対する知識がないために、死後、混乱を招いてしまい、肉体が無くなったが魂はそのことを理解することが出来ずに未熟さゆえに混乱し、戸惑うことになり、先にあの世で生活している現世での繋がりの家族の霊達にお世話になることでしょう。
この地球上で学んでいなかった為に、あの世で一から生き方を学び直すことになるでしょう。
しかし、人によっては肉体が快楽の一種の中毒みたいになっていますから、似た波動の人の側をさ迷っていることもあるでしょう。
人によっては肉体が亡くなっても往生際が悪く、「死んだ」ことに気づきませんから、低級霊として地上の近くをさ迷い、悪い想念を送ったりする人たちもいます。
死に際に初めて「あの世」とはどんな所だろうと思う人はまだまだ恵まれた環境にいる人達です。
21世紀になっても、こうした死後の悲惨なケースがあまりにも多いために、霊界の高級霊達は、地上人類の救いに乗り出すことになったのです。
では、その霊界の高級霊が、スピリチュアリズムを通じて地上人にもたらそうとしている救いとは何でしょうか。

いつもながらスピリチュアリズムは奥が深いので言い尽くせません。
ですが、一言で述べるならば、「霊的成長」ではないでしょうか。
霊的成長こそが、霊的存在である人間にとって最も価値ある永遠の霊の存在です。
スピリチュアリズムの霊的真理は、この霊的成長のために与えられたものなのです。
「霊的真理」は霊的成長と共に、この借り物の肉体を短い期間であの世での生活の用意が出来る場所でもあります。
特に、今の次元上昇中の時代では、過去世に学校で言えば、小学生ぐらいの学びをしていた新しい魂でさえも、この21世紀の時代では、スキップして大学院の学びさえも出来る魂もいるでしょう。もちろん、霊的真理を追究し、実践なしにてこのスキップは不可能ですが、やる気次第では、霊的成長が他の時代より多く出来ます。
必ず訪れる死、そして必ず行くことになる霊界へ、そこでの幸福、喜びに繋がる「霊的成長」こそが、この21世紀の「真の救い」になることでしょう。
その本当の救いを得るためにも、霊界の高級霊団体が多くのメッセージを送って来てくれているのです。

奥の深いスピリチュアリズムに含まれる目的は、「本当の救い」であるでしょう。
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